2010年心に残った一言大賞 [無職生活]
友愛から最小不幸社会へ
「暑」という一字で要約された2010年。
2009年に引き続き
今年もたくさんの方々の一言が
「期待していないから!」(27歳♀)
色々あった一年、この一言で救われた気が。
来年こそ、それを裏切れるように。
「盗むなら、値上がり後でも一緒でしょ」 (29歳♂)
タバコ値上がりニュースを受けての呟き
いや、本当はもっとすごい名言吐いておられた気がするんだが
一番記憶に残ったのはなぜかこれで
角界を引退された今、セカンドステージでもご活躍されんことを
「釣ったのは私だから」 (27歳♀)
あんな大阪もんに釣られやがってという親父の一言に対する返し
我が妹ながらすげーと思った瞬間。
「(小さい子と)コミュニケーションとるの上手いね」(8歳♂)
友達の子供(3歳)をあやしていたときに言われた一言
ど、どうも、恐縮です。
最近の小学生は大人びてんなー。
「乳歯が生えてきた」 (25歳♀)
相変わらずよく分からなかった一言
最近御入籍されたそうで
名字何に変わったかは存じませんが、お幸せに。
「いわたるくん」 (50代♂)
いや、間違いじゃないっす。
短縮形を作ってくださったんですよね。
沢山の駄目だしと、新作メニューのヒント(笑)に感謝申し上げます。
「しちゃえばいいじゃん、偽装結婚。わたしと」(40代♀)
気のきいた返しが出来なくてすいません。
生まれて初めてのことだったもんで・・・。
冗談、ですよね?(汗)
「成金だから」 (30歳♀)
一度でいいから言ってみたい一言。
焼肉の人って名前消えないっす(笑)
「ちりもつもればやまとなでしこ」 (詠み人知らず♀)
焼肉屋でどっかの女子会の方々が連呼していた言葉。
なでしこ、ナデシコ、撫子・・・。
「僕あなたのこと気に入っちゃいました」 (25歳♂)
初対面の女性に投げつけた剛速球。
らしいと言えばらしい一言。
今年の同期の惨敗を「自己責任ですから」という一言でバッサリ切ってくれた。

合コン部でのご活躍をお祈り申し上げ候。
(個人的にはああいうキャラはすごい好きなんだけど(笑))
「そのドキドキ感がたまらないんでしょ!」 (23歳♀)
院生になっても、その面白さが衰えることはなく
またみんなでラーメン食いに行きましょう。
「嫁さんがい〇ふ〇君に見えて仕方ないんだけど」 (28歳♂)
みんなが思っていても口に出せなかった中、沈黙を破った一言
そう言われると、本当にそう見えてきた(笑)
末永くお幸せに。
そして栄えある大賞
「美味しい思い出がいっぱい」 (26歳♀)
エクスターンを総括した素晴らしい一言
なんという素敵な響き(笑)

「美味しい思い出がいっぱい」の社会こそ、最小不幸社会の実現になるのでは?(笑)
神の見えざる手?により何とか卒業することができ
長きにわたる学生生活を終えて、無職生活を始めた2010年。
色々記憶に残ることが多かった一年だった。
2011年も良い一年でありますように。
3月のライオン [無職生活]
朝、顔を洗って自分の顔をふと見たとき
豊齢線がくっきりと出ていることにふと気付き
加齢がなせる業なのか
デブの宿命として、頬の重みに耐えかねて崩れてきたのか
理由は定かでないが、くっきりしているのは逃れられない事実であって
30歳からの「ドモホ〇ンリンクル」ってこういう意味なのかって感じた今日この頃
こないだ某社のある某駅に行った際にみつけた
「3月のライオン―方言バージョン」
以下しばらく写真ばっかになり候
(北海道・青森県)
(岩手県・宮城県)
(秋田県・山形県)
(福島県・茨城県)
(栃木県・群馬県)
(埼玉県・千葉県)
(東京都・神奈川県)
(新潟県・富山県)
(石川県・福井県)
(山梨県・長野県)
(岐阜県・静岡県)
(愛知県・三重県)
(滋賀県・京都府)
(大阪府・兵庫県)
(奈良県・和歌山県)
(鳥取県・島根県)
(岡山県・広島県)
(山口県・徳島県)
(香川県・愛媛県)
(高知県・福岡県)
(佐賀県・長崎県)
(熊本県・大分県)
(宮崎県・鹿児島県)
(沖縄県)
ここまで黙々と撮り続ける人間は傍から見てどう映ったのだろうか(苦笑)
色々ゴタゴタする中で最近思ったこと
・「話せば分かる」って言葉、あれやっぱり違うんじゃないか。
・ただごねる北朝鮮方式(にしぐち、すっしー)が一番手っ取り早いのかも
・「休」と「退」一緒なんだぁ
・内規ってどうやって知るの
・また参りますといっておいて音沙汰ないね
・「戦争とは政治の手段である」(クラウゼヴィッツ)
・「これは損害賠償の事案ですね
・「闘うべきは今」
・勝ったところで切られるのは尻尾
・10万未満のためにキャリアを傷つけるのは可哀想
・そんな暇ない
・NOVA2号
迷える子豚状態&人間に期待しない病
そんな中で人間捨てたもんじゃないと思えた出来事が
熱出した同級生のお見舞い行って
逆に色々お土産もらっての帰宅途中
折りしも雨強くなりける頃にて
いただいた紙の袋が雨で弱体化し
大破して中身の果物が落下
しかも運悪いことにお見舞いに行ったお家は坂の上
林檎や蜜柑や柿が一気に転げ落ちていき
(人間って本当にびっくりした時は、「あ、ぁぁ・・・」っていう情けない声しか出ないらしい)
雨の中泣きそうになりながら暗闇に光る果物たちをかき集め
その姿、まるで万引き泥棒のよう。
両腕に鞄と果物を抱えながら雨の中を帰宅
手をプルプルさせながら歩くも何回か道に果物を落下させてしまい
しゃがんで果物を拾っていて
タイ旅行から帰国した時の新宿駅の惨劇が頭をよぎり益々テンション下がっていたときに
傘を差し出してくれた女性が一人
どっかのスナックのママさんっぽいいでたちの方で
一緒に拾い集めてくれた。
「破けた袋はこっちで捨てておくから」
そういって去っていった。
人の優しさが沁みた瞬間。
悪いことばっか目がいってしまっていたけど
振り返ってみると
結婚式で上京してきた高校の同級生から韓国料理と元気をもらい
久々の仲間たちとの再会に癒され
このメンバーだったら何度でもご飯作ってあげるって思った(笑)
そんなこともあったなーと。
やっぱり人間は好き。
窮豚 [無職生活]
こないだ久々に会った友人に
最近書いてないねと言われて
言われてみれば確かにそうで
とりあえずダッーと毎日過ぎていく感じで
たまに適当に料理するくらいなもんで
こんなん作ってみたりして
①横手焼きそば
麺に特徴があって
富士宮焼きそばの麺が「もっちり」だとしたら
横手焼きそばのそれは「むっちり」というか
しっとりとした弾力が特徴
挽き肉に和風のソースと福神漬けが絡む日本人にはたまらない味
目玉焼きを崩しながら食べるのが最高
①チーズカレー
まえにぴぃーまんから送ってもらった小岩井カレーにヒントを得て作ってみる
野菜はすべてすりおろし、炒めた挽き肉と合わせて煮込み
ルーを入れるときに、ダイスカットしたクリームチーズをこれでもかと投入
濃厚さが癖になる味
温泉卵を混ぜ込んで口の中に運ぶとさらにコクがアップ
あとは・・・
近所のおばあちゃんの息子さんから教えていただいたかつ丼の美味い店に行ってみたり
ラーメンちょこっと食べたりくらいなもんで
(これは久々にヒット。)
ごくごく平凡な日々
勉強の方は・・・
3年間低空飛行を続けてきたツケで土台がないからなのか、触れる情報すべてが新鮮で
そういう意味では勉強が苦にならないという
良いんだか悪いんだか
いや、悪いんだろうけど
特別講座の先生が
石丸謙二郎に似てるとひそかに感じつつ
色々とお話を聞いていると
方法論とか、(あれっ、俺が今まで生徒さん達に言ってたことじゃね?)とか思ったり
「寝言は寝て言え」って言われるだろうことは重々承知の上で。
自分が教えていたことが理論的には間違ってなかったんだな~って思うのが半分
他人にはやれやれ言っておいて、自分は実践してなかったな~って思うのが半分
他人のことの方が見えやすいってのはホントだ。
自分が生徒だったらどーゆータイプか考えてみたら・・・
ろくすっぽ世界史の知識ないのに東大の論述問題解きたいっすって言い張るやつって感じか。

そうすると、こうゆう問題児にまず最初にやらせるべきことは・・・
自分ためのカリキュラム作ってみようかな(笑)
追いつめられた鼠は猫を噛むというが、追いつめられた豚は何が出来るのか。
とりあえず
「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」
(松下幸之助)
どうなるにせよ、やれるとこまではやんないと。
別件
予備校で一緒だった友人が結婚することとなり
2次会にご招待いただく
新郎とは8年前の大晦日、勉強合宿に名を借りた鍋パをして一緒に過ごした仲
新婦は初対面のはずなのに、なぜかそれを感じることもなく
なんでだろ?とか思っていたところ
も〇たか氏「言うか言うまいか迷ったんだけど、嫁さんがい〇ふね君に見えて仕方ないんだけど・・・」
そんなアホな。
あれっ、誰も否定しないし。
・・・ホントだ。
アイアム嫁?

いやいやいや、さすがにね(笑)
実はこういうの、初めてではなく。
中学の時も、隣の中学(二中)のバレー部に超似てると噂になったの女の子がいたし
そういう顔なのかな?(苦笑)
式自体は本当に楽しい集まりで
来たみんなに楽しい時間を提供したいという新郎新婦の心意気を十二分に感じる
二人の人となりがものすごい伝わってきた時間。
新郎が手紙の中で語っていた
「ここに集まってくれた僕のコミュニティーに、〇〇も入ってまた新たな輪を作っていけたら・・・」的な言葉
い~な~って思った。
みんなの祝福を体全身で受け止めようと、1次会で潰されてしまった新郎も素敵
トイレで回復中の新郎を気遣いながら、2次会ほとんどの時間を一人で捌いた新婦も素敵
「二人で一つ」っていう言葉がこれほど似合うカップルはないなって思った。

お幸せに~
十九歳 [無職生活]
この夏の異常気象で農作物の出来が悪かったり、秋刀魚が不漁だったり
色々影響が出ているようで
周りが壊滅的な時に限って、逆に豊作になるものがある
今年は実家の方で結構取れたらしく
こんなんが送られてきた。
「松茸」
椎茸を筆頭にしてキノコ・タケノコ苦手な小生にとって唯一食することが可能なキノコ
「松茸ならまあ、食えなくはないです」という台詞1つで
簡単に世界を敵に回すことが出来ることを知ったのは
高校入学のため一人で暮らし始めて、しばらくしてからのこと
普通に使っていたら怒られた。
だって、生えているんだもん。
「イクラは七味感覚でうどんそばラーメン何にでもかけます」っていうのも以後封印。
田舎では分からなかったモノの価値。
そうは言っても毎年送られてくるわけではなく、久々にみて思った
「デカっ!」
頻繁に見るもんじゃないから、基準がナニかと聞かれても分からないけど
多分デカい。
うん・・・。
色々おすそ分けしたらそんな残らなかったんだけど
とりあえず作ってみた松茸ご飯
同じく秋の味覚「秋刀魚の甘露煮」を添えて
香り松茸・味シメジというらしいが、確かに香りが違う。
炊飯器から漂う格調ある香り
味はそんなよくわかんないけど、匂いでそれっぽい気分を味わえたので満足。
米といえばこんなのも
簡単カルボ飯
・・・また肥えてしまいそう。
別件、つーか、本件
模試を受験した生徒さんに問題解説を依頼され、現代文の問題に目を通す。
・・・
あれっ?
高校のとき使っていた教科書の文章がそのまま
「十九歳」芝木好子
2005年のセンター本試験
当時一部の高校で使用されていた教科書の問題が出題されて問題となったけど
10年前の教科書に掲載されていたことなんて模試レベルではさすがにチェックしないよな~と思い。
逆にそれが大学受験から10年経過したんだという意味だと思い知らされ
少し凹む。
なぜそんな10年前に扱われたものを覚えているかというと・・・
むら〇みという現代文の教諭に
そこ聞くんかい!っていうところをあてられてあたふたしたのが今でも鮮明に焼きついていて
振り返ること11年前、平成11年夏
現代文の授業中に数学の予習をしていたところを(うちの高校ではそれが常識だった)見咎められ
「ここで『彼の身体にある衝撃が走り抜けていった』とあるが、どういう意味か説明しろ」
というありえない質問を受け
(はぁ?何言わせようとしてくれちゃってんの!)と思いつつ何も答えられなくて
ただただ赤面していた17歳の夏。
(なぜ答えられなかったのか気になる方は、下に本文引用しておいたんで
懐かしいと思われる方ともどもどうぞ)
往復の電車乗っている時間すべて、携帯で問題分を写経することに費やした苦労だけでも(笑)
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大阪の電気会社を定年退職した由木は、東京に転居するために一軒家を探しており、その途中、戦時中に住んでいた自宅のそばを通りかかる。彼の父は、当時「由木園」という名で造園業を営んでおり、終戦の年には自宅のそばにある地主の辻原家の管理人も兼ねていた。辻原家には、軍人だった主人とその妻紀子、女中の峯が住んでおり、峯が米や物資の買い出しに出る時には、紀子が大きな邸に一人で残されることが多かった。そういう時には由木は父のいいつけで隣家の紀子を連れて、防空壕へ避難することがあった。以下はそれに続く回想場面である。
東京の空の下は夏にかけて相変わらず警報が出た。爆撃は夜がすごい。紀子は次第に近づく爆音に竦んだままになった。由木は声もなく家内に飛びこんでゆき、暗幕の下にうずくまる彼女を物体のようにさらっていく。防空壕は彼と父とが造ったたもので、畳が一畳分敷きこまれているが、暗闇の穴ぐらである。母屋が焼ければ蒸し焼きになるだろう。彼は恐怖と勇気を一つにしながら戸を背にして四肢をふんばる。長い緊張の時が過ぎ、危機が去ると、暁闇の白い筋なのか、爆撃の火に焼けた空のせいか、穴ぐらの戸に明りが射す。外の変化を見るのはおそろしいが、外には自由がある。生と死を共にした相手をうながすと、彼女はのろのろと這い出してきて、顔を仰向けた。
「こんな家、焼けるといいのに」
ふたりは蒸し焼きにもならずに家に入ると、由木は急に元気を取り戻して湯を沸した。紀子は戸棚から蒸しパンを出してきた。彼が忽ちパンを食べ終えると、自分のも差し出した。彼はパンを半分にして片方を彼女をつき出した。紀子は初めてパンをちぎって口へ運びながら、人といる安らぎに充たされていた。一夜をまんじりともしなかった疲れのあとに、由木も工場へ行く気はしなかったし、峯が帰ってくるまでかよわい女(ひと)に付いていたいが、そうもゆかないだろう。彼が出てゆこうとすると、紀子は男のズボンを掴んだ。また独りになる。それはひどすぎる。目があうと、彼の身体に、ある衝撃が走り抜けていった。
その夏は暑かった。すっかり痩せた若者たちは工場でしごかれ、家を焼かれ、脱落するように仲間も散りぢりになっていった。由木の家が空襲で類焼したのは、七月に入ってからである。小路を隔てた辻原家は助かったが間に由木園があって消火につとめたおかげであった。由木の父は妻子の疎開先へゆき、由木は学業を続けるために、といって、焼け残った物置小屋を仮の棲みかにした。
戦争末期の熾烈な日常に、生きのびるか、死かの際にいながら、彼はいのちを燃やし続けていた。峯は埼玉の実家へ行く日が多くなり、見捨てられた者だけが都会の焼け跡に残され、明日は滅びるかもしれない運命にさらされながら、生きていた。
終戦の日、昭和二十年八月十五日の真昼、邸の荒れた庭の木立に油蝉が鳴いていたのを由木は覚えている。邸の主が復員してきたのは十日ほどあとであった。紀子は栄養失調から肺尖カタルを患って床についてしまい、由木は物置小屋から追い立てられるようにして去った。空襲も、戦禍も、悪夢のように過ぎた。怖ろしい幸福というものがあれば、若くして見てしまった死とすれすれの、命の燃焼をいうのだろうか。
彼が両親の許で学業を終えることが出来た時、青春も終えてしまったと悟った。そのまま地方に住んで仕事に就いてからは、東京へ出ることもまれになり、新宿から先へ行くこともなかった。
歳月は都会の様相を変えてしまったが、どういうわけかこの一劃には焼け残った昔の面影が漂い、取りわけ鬱蒼とした木立に囲まれた邸には生垣を透かしてみても変化は見られない。増築されたようでもなし、庭の地所がけずられたようでもない。四十年も変わらぬままというのは珍しい。それなら人間も変わらぬままに生きて、朽ちかけているのだろうか。彼は先程見た新築の売家の小ぎれいに飾った住居を思いうかべながら、家を買うのはそれほど難しいことではないと考えた。代金の一部を手渡して、未来を先取りすればよいのではないか。彼には未来はないも同然だが、今少し働くことにして、ある時から先は子が受け継げばよいのである。思い出の土地に還ってきて、通りを隔てた邸や、消えてしまった由木園の梅の木々や、それらの記憶を抱きながら晩年を生きても不都合はない、と思うと、心の高ぶりをおぼえた。由木園のあとにしばらく立ちつくしたが、やがて小路を通って角を曲ると、表門に出る。門は昔から瓦屋根のついた冠木門で、板塀の袖がついている。表札も古びて昔のままの名が記してあった。
彼は井関になぜもっと詳しくこの家のことを聞き出さなかったと悔いた。ここへ来るまでは、いや、車の中から気付いてはっとした時でさえ、邸へ近づこうとは思いもしなかったのだ。しかし昔と変わらぬたたずまいや、母屋から張り出した洋館の尖った屋根を見ると、邸を守ったのは自分たちだ、という思いが湧いた。夫人が今も生きているかどうか、心身ともに繊細なひとだったのを忘れることはない。彼が地方に埋もれた一生に甘んじたのも、過去の強烈な思い出と傷が重かった、といえば言える。
なにものかに押し出されるようにして、彼は門の中へ入っていった。門から敷石を渡ってゆくと、奥まったところに広い玄関があり、わきにうち玄関がある。前庭に自転車がおかれて、思いがけなく十一、二の少女が立っていた。顔の小さい、すらりとした少女である。由木は足を止めた。
「どなたですか」と少女は聞いた。
「御主人は居られますか。旧い知合の者です」 昔の辻原中尉の軍服姿を思いうかべて当惑したが、咄嗟にそれしかなかった。少女は家の中へ入っていった。古びたまま新しさの加わらない家居と、あまり手入れのしていない前庭を見ながら、成りゆきに任せていると、大玄関から少女の母らしい中年の女性が出てきた。背の高い、黒髪の豊かな、ふくよかな女性である。どこかで見た顔、という気がした。
「父をお尋ねでしょうか、珍しいこと。あいにく留守にしていますが、いつごろのお知合でして」
と彼女は訪問者をしげしげと見ながら訊ねた。ずっと以前、この近くに住んでいた者だと告げながら、主人の不在に彼はほっとして、名刺を差し出した。いま少しここに居たかったからである。彼女も、娘の奈津子です、と挨拶を返した。
「御主人は当時軍隊の将校でしたが、どうしてられますか」 「ずっと身内の会社に籍だけおいていますの。以前からだと思いますが、頑固な人でして、それでも自分の健康には気をつけて、ジョギングをしていますわ」
「軍服のよく映る方でしたよ」
「父も自慢のようでした。私は終戦の翌年に生れましたから、見てはいませんけど」
さっきの少女が奥から顔を見せて、母になにかいう仕草が愛らしい。母の許しを得ると、少女は外へきて、自転車に両手をかけながら門へと出ていった。由木はなぜとなく少女の可憐さに胸を打たれながら、奈津子からその母の消息を聞こう、と心を決めた。
「四十三年ぶりにこの辺りへ来ましたが、お宅は変らないですね。見事なことです」
「さあ、変らないというか、変えられないというか。母などはこの家に封じこめられたように、一生外へ出歩こうともしませんの」
由木は一瞬息を詰めたあと、言葉にした。
「奥様はお元気ですか」
「はい、ありがとうございます。普段ならお目にかかるのですが、目を悪くしていまして」
彼女は訪問者に親しい気持を抱いて、快活な口調で話しはじめた。母は編物が好きで、自分や孫のセーターを編んでくれていたが、近年目が霞むようになって、気がついた時は両眼が白内障になっていた。今は九割方見えないようで、この状態になるのを待って手術をするようになった。四、五日あとに入院する、と彼女は話した。由木は口を閉したまま、視力を失ったという紀子の老いを思いうかべた。すると取り返せぬ歳月の悲哀に、胸が疼いた。彼はこれ以上長居をすることは出来なかったが、去り難い気持で立っていた。
「お大事になさって下さい」
「母に話してまいりますわ」
「もう昔のことで、覚えてられませんよ」
彼は玄関の式台から奥に伸びた中廊下を見て、廊下の先に広い厨房があり、奥の坪庭をめぐると夫人の居間があるのを思いうかべた。
「こちらには良い木が入っていますね。門の脇の臘梅は昔から見事でした。確か青梅もあったはずです」
「青梅なら、緑萼というのがありましてよ。古木で、みどりの萼と白い花びらが美しいのです」
「あれは私の父が入れました。見事な木でしょうね」
「ごらんになりますか」
彼女はこだわりなく言い、ふと彼に微笑みながら、そのころあなた様はお幾つでした、と聞いた。
「なぜですか」
「四十三年も前とおっしゃるのに、お若いから」
「十九歳でした」
彼の顔に微かに含羞の表情が走るのを、奈津子は見ていた。彼女は玄関の外へ出ると、先に立って庭への枝折戸をひらいた。そこからは奥の庭で、青梅は枝折戸の中に植えられ、見事な枝ぶりで太い幹を伸していた。花の盛りは匂やかな風情だろう、と感嘆しながら目をあげたのだったが、彼の視野の端へ矢のように射すものがあった。
庭の奥の母屋は日本間が続いて、広縁がまわされ、縁先には卓と椅子が置かれていたが、椅子にひとりの女性が掛けていたのであった。目を患った紀子にちがいない、ほっそりした、縹(はなだ)色の和服の夫人であった。由木はじっと見た。縁先からも人の気配に顔が向けられた。ある距離があって、更に歳月が重ねられ、記憶のフィルターは翳りを生んだが、それを越えて惹きあうものがあったかもしれない。
「どなた」
と彼女は広縁から訊ねた。奈津子は母のそばへ近寄って、昔この近くに住んでいらした由木さんとおっしゃる方、と告げた。彼は紀子の反応をおそれながら凝視した。
「そうですか。目を悪くしていて、失礼します、と申し上げて下さい」
彼女はおだやかな声とともに、会釈した。目は霞んだまま、あてどなくさまよっている。彼は一歩も動かずに立ち尽くした。時間は消し飛んでゆき、小鳥の囀りの代りに空襲警報のサイレンが響いた。防空壕は庭の外れにあったから、縁を駆け降りて転がりこんでゆく。轟音が近づく。恐怖を共有した者は抱きあって魔の時の過ぎるのを待たなければならない。いつか彼はそれを忘れて、飽食して、平和に馴れてしまったが、彼女は同じ場所で今も過去と切り結んでいるのではないか。由木は踏み込みすぎた庭に気付いた。足許に紫色の菖蒲が数本清楚に伸びている。
「きれいな菖蒲ですね」
「毎年私の誕生日のころに咲きますの。戦後最初の五月のお節句ですし、父は男の子と決めていたようですが、女の子が生まれてがっかりしたそうです。父は男しか頼みにしない質ですから」
柚木は奈津子の明るさに慰められながら、失礼しました、といった。それから縁先のひとに向けてゆっくりと無言の挨拶を送った。夫人は身じろいだ。
「折角おいで下さったのに、高上りでおゆるし下さい。荒れた庭ですが、都忘れが裏庭の畑だったあたりに咲きますし、梅の木も十本ほどありまして、季節には昔のままによく匂います」
彼女が低く、感情(こころ)をこめて言うのは、よほど珍しかったのか、奈津子がおどろいて、
「お母様」と呼んだ。紀子は口をつぐんで、目礼し、由木も、
「お大事に」
というと、庭を出ていった。奈津子はあとからついてきた。
「母は思い出したのでしょうか。お話をしたかったとみえますわ」
「いや、忘れていられるようでした」
彼は取りつくろったが、交すべき言葉は交したと思い、月日を停止させたようにじっと座ったままの女人の顔を脳裏に刻んだ。門の近くに来ていた。
「突然伺って、御迷惑をかけましたが、良い思い出が出来ました」
「またお出かけ下さい。この次は父も居るでしょうし、母の目もよくなっていると思いますわ」
由木は奈津子に別れを告げて、門を出ていった。五、六歩して、彼女の顔が自分の長女に似ているような気がして、立止った。振り返ったが、古びた門には人影はない。彼は二度と近寄ることもない昔の庭を垣越しに見ながら、去っていった。
****************************************
疲れた・・・
十九歳かぁ・・・
テレビドラマがお子ちゃまに見えるくらい、色々ドロドロありすぎてカオスだった1年。
一生分のめんどくさいことが一気におきたような、そんな仙台生活。
山中鹿之助ばりの七難八苦だった日々も
今となれば、どこか懐かしい。
そんな気持ちにさせてくれた
「十九歳」
Re:歴史学習について [バイト先]
戦友の書いているブログにこんな記事があって
人のブログに長々とコメントするのもどうかと思ったので
自分なりに思うところを書いてみようかと。
電車乗っている時間結構長いし
南武線~東横線の混雑の中では携帯いじるくらいしかできないし
とはいっても
予備校の先生や、現役の世界史の先生もおられるなかで偉そうなこと書くのは気が引ける(笑)
まっ、暇つぶしにでも
********************
歴史を学ぶということをどう語るかは非常に難しい問題だと考えます。
ただ、多くの人にとって歴史を学ぶことは入試を突破するための手段であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
この前提に立ったうえで考えていく必要はあると思います。
一般に、多くの受験生にとって悩みとなるのは覚えるべき知識の整理ではないでしょうか。
私が高校生の頃、2年生の最初のあたりだったでしょうか、
同級生の一人が放課後「ネブカドネザル2世」という単語を一生懸命黒板に書いていました。
黒板の一角が埋まったころ、彼女は「これで明日のテストは大丈夫」と言って帰って行きました。
翌日のテスト、彼女が「大丈夫じゃなかった」ことは言うまでもありません。
漢字の書き取りテストのようにその語句だけを覚えても意味はないのです。
「ネブカドネザル2世」という言葉をちゃんと書けるかというよりも
「ネブカドなんとか」って人物が何をしたのかってことを覚える方がはるかに重要なのに、
そこまで考えることなくとりあえず単語を詰め込もうとする。
これでは疲弊していやになってしまうのも当然です。
ここまで極端でないにしても、馬鹿正直な人ほど歴史を学ぶことに苦労している感じがします。
私のイメージする歴史学習とは
壁にボンドでフックをつけて、そこに輪っかをかけていく
そんな作業です。
(非常に分かりづらい例えですが)

ある地域のある時代について学習しようとする場合
鍵となる重要な単語(Aランク)から瑣末な単語(Eランク)まで
一応教科書や用語集には載っています。
Aランクくらいの単語だと、小学校や中学校でも一度は聞いたことがあるような単語だったりします。
人間は未知のものに遭遇した時、何とか既知の情報からつながりがないか探そうとします。
見知らぬ人と出会った時、所属先や出身地を聞いて何とか共通項を探そうとするのも
よく分からない「Xさん」としてインプットするよりも、
「〇〇と同じ出身のなんとかさん」の方がすんなりと頭に入ってくるからです。
同じように
「徳川秀忠」という用語を知らなかったとしても、「徳川家康の息子」として記憶にとどめることが出来る。
ただしこの記憶の仕方は、「徳川家康」という単語がすでにしっかりと頭に定着していることが前提です。
「徳川家康」というフックがしっかり固定されているから
「徳川秀忠」や「徳川頼房」といった輪っかをかけることができるわけです。
では既知の情報が全くなかった時はどうするか。
フックを作りだす必要があります。
Aランクの用語を記憶に残るような仕方で覚えてもらう。
ここで注意すべきなのは、記憶の定着には時間がかかるということ。
ボンドが生乾きの状態のフックに輪っかをかければ大崩落が生じるように
フックたる用語が未定着のまま新たな用語を教え込もうとしても
全部無駄になってしまいます。
そういった意味で鍵となる重要な用語をまず覚えてもらうというのは大事なことと言えます。
内田氏が「年号を覚えておくことがギリギリの防衛線である」とおっしゃるのもごもっともです。
そして「因果関係」なるものが実在しないというのもその通り。
ただ、そのことと「因果関係」の必要性を否定すること(生徒が要求することを否定する)
とは次元の違う話だと思うのです。
「まずは年号を覚えろ」というのは、
「野菜は生のままが一番栄養価が高いのだから生のまま食え」と言っているのと同じ気がします。
生のままでは消化しきれないから、
砂糖やバターを使ってグラッセにしてみたりと調理する必要があるのであって
それを担うのが教え手の務めではないでしょうか。
「どうしてこんなことが起きたんだろう」という問いを自分に向けて自分の頭で考えることが必要なんです。
それは確かにその通り
ただ、そこまでの時間的精神的余裕が多くの受験生にあるのでしょうか。
調理された野菜は確かに生野菜に比べて栄養価は落ちます。
しかしそれでも野菜を摂取することには違いない。
少なくとも生のまま食べることを拒絶されるよりはマシではないでしょうか。
具体例をあげて考えてみると
閔妃という人物が朝鮮の歴史において登場します。
この人は初め親日派でしたが、のちに親清派に転じ
壬午軍乱・甲申事変でも清の援助で政権を維持します。
壬午軍乱の事実としては
1882年。閔妃の義父大院君がクーデターを起こしたが、清の介入により閔妃政権が復活したこと
ですが、多くの生徒にとって閔妃の方針の転換との結びつきがイマイチ分からないようです。
こういうとき、私はだいたいこんな脚色をします。
「閔妃」
は
新興国でおしゃれな感じのする日本
が好きだったのですが
壬午軍乱で大院君によってクーデターを起こされた際に
期待していた日本がさっぱり役に立ってくれなくて
つかえねーなー日本
となり
逆に清
によって助けられて政権に復帰したことで
甘いルックスなんかより、ワイルドな頼りになる男がいいわってことで
以後保守化することとなりました。
ハッキリ言って非常にくだらない説明です。
しかし、それでもある程度生徒がイメージが湧きやすくなるのであれば、それでいいと思っています。
もしかしたら歴代の生徒さんの中には
「こんないい加減な教え方して」と内心怒っておられた生徒さんもいたかもしれませんが
ちゃんと受験に必要な知識は吸収してくれたと思っています。
確かに、歴史的事実から自分で流れを考えてみるというのは大事なことだと思います。
しかし物語で構わないから流れを一通り説明して欲しいと要望する生徒を
推理小説のオチを最初に知りたがる人と同列に扱って
「まず年号を覚えなさい」というのは
大変失礼ではありますが、教育者として失格ではないかと考えるのです。
また、因果関係が実在しないのはそうだとして、年号は事実なのでしょうか。
私の小さい頃、鎌倉幕府の成立は「いいくに」作ろうで1192年だとされていました。
しかし、近年では源頼朝が征夷大将軍として任命された1192年ではなく
守護・地頭が設置され実質的に幕府が組織化された1185年が鎌倉幕府の成立年とされています。
あげあしを取るわけではないですが、年号も絶対的な事実ではありえません。
そもそも歴史上の事実とは真実なのでしょうか。
どの歴史の記録を見た場合においても、それは自ら又は自国の業績を誇るものばかりです。
自国の失敗を正直に記録しているものはほんのわずかに過ぎません。
その理由は少し考えればすぐに分かります。
インターネットが普及した現在においてブログ等で自分の日常を書きつづるのはごくごく普通のこととなりました。
自分にとって都合の悪いことを記録に残すことには消極的になり
逆に自分にとって都合の良いことは誇張してしまいがちなのは
誰しもが持つ傾向ではないでしょうか。
ましてや、記録を残すことが並みの人間には不可能だった時代
誰もが文字を使いこなせるわけではなく
記録媒体たる粘土板や羊皮紙やパピルスとて誰しもが手に入るとは限らず
為政者の命令のままに業績を誇張して書くのが記録者の役目であったならば
その記録はどこまで真実なのか。
一般に歴史上の記録の「号して〇万人」というのはその半分くらいが正確な数値であろうとされています。
「歴史」とされている現存する記録は、所詮は勝者の記録であり
勝者が敗者を攻め滅ぼしたことを正当化するために、
前政権がいかに極悪だったかを後世に伝える作業としてなされたという側面もあります。
それをすべて「真実」として解していいのでしょうか。
また、先史時代として学習する猿人~原人~旧人~新人の流れ
あれも真実といえるかは分かりません。
猿人は、一般に猿のように描かれていますが
「昔の人類祖先の顔を客観的に復元・検証することは不可能である」
「猿に基づく復元は先入観に囚われた全く不正確なものであり、妥当性を欠いているようだ」
(オーストラリア・アデレード大学解剖科学学部カール・N・ステファン教授)
という指摘や
脳の大きさによる知能程度の判断についても
「科学者たちは、ヒトや他の動物種における脳の大きさと知能の相関関係を見出していない」
(サイエンティフィック・アメリカン・マインド誌(2008年))
という指摘も存在します。
もしかしたら、猿人や原人といったものは存在しなかったのかもしれません。
結局のところ、歴史的事実とされているもの自体信憑性に欠けるものは数多く存在します。
存在しない「因果関係」を教えろと言う前に、存在する事実である「年号」を覚えなさいという主張に
あまり説得力を感じないのは私だけでしょうか。
生の野菜を食べさせることはとても重要だと思います。
しかし、生の野菜では摂取できない人も調理した野菜を摂取することによって、
いずれ生の野菜を摂取できるようになるかもしれません。
そういった意味で
野菜を調理する、すなわち作り話であるにせよ因果関係を説明してあげることには
私は重要な意味があると考えるのです。
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携帯打ってたら乗り過ごしてしまったし
ちょい寝てもうたし
ですます調はやっぱり疲れるわぁ・・・。
そしてですます調は言葉の使い方のおかしさがすぐに分かってしまうというか
ごまかし出来ないというか
・・・もう知らん。
やっぱり食べ物の写真ないと落ちつかないので(笑)
1個だけ
こないだパン夫妻にご馳走になったお店
「とんずら」
肉のクオリティーが高く、かつ安い。
内臓の取り揃えが素晴らしい。
そして可愛すぎるちぇちぇ
執事になりたい(笑)
親父の一番長い日 [家族]
「お父さん、お母さん
お世話になりました」

ドラマとかでよく耳にする台詞
ずっとブラウン管の向こうの世界の光景だったものが
目の前で起こった
妹の挙式のため大阪の地へ
前回大阪に行った時は大阪らしいところにはどこにも行けず
大阪らしい食べ物にもありつけず
唯一口にしたものが松屋の牛丼という悲しい結末
今回こそは大阪を堪能するぞと意気込み、新幹線に乗る
まずはうどん
鰹節のいい香りに誘われて入る
いかにもなたこ焼きうどんを注文
出汁の色がキレイ
その旨味を吸い取ったたこ焼きがメチャクチャ旨かった
(明石焼きみたいな感じ)
うどん自体がイマイチで不満は残ったが、食べ方とか面白かったので満足
・・・
大阪食い倒れツアーはこの一品のみで終了(笑)
千代「太」海氏絶賛の海鮮丼のサムライスペースはお休みで

式前日は親父のくだまきを聞くことで終わる。
式当日。
今度は急遽弟を迎えに行き、かつ送り届けなきゃ行けなくなり
結局時間なし
どうも大阪とは相性がよろしくないらしい(苦笑)
パンから5年前にもらったICOCAが大活躍
新大阪ではロッカー難民となって荷物を運んだりして
なんとか複雑な乗り継ぎを経て式場へ
花嫁衣装に身を包んだ妹と対面
うーん・・・
なんか・・・
あれだな・・・
「馬子にも衣装」
というか
ウェディングドレスの力って凄いね
振り返ってもSuperflyのボーカル⇒
にしか見えないはずなんだが
こんときばかりは・・・。
「今までで 一番きれいな妹と 一番立派な 親父の姿を刻み込もうとしていた mm・・・」
(さだまさし「親父の一番長い日」より)
自分も兄馬鹿だったか。
最後新郎のお父さんが挨拶で引用してた
『家庭とは失敗が許される場所である』という言葉
失敗か・・・
これまでも、そしてこれからも失敗だらけであろう自分の人生において
失敗の許される場所が出来ることはあるのだろうか。
ふとそんなことを考えてみた大阪の夕べ。
別件
えっと
心配してくださって連絡くださる方と、気を遣ってくださる方様々なんで
一応
今年度の試験は駄目ということで
本当はもっと前に
試験を受けた後には
いや、試験を受けているときには
そもそも試験を受ける前から分かっていたというべきか。
とりあえず「おいらは落ちた」という現実

知ってる人は知っている 知らない人は覚えてね
こんなアホなこと言ってる余裕なんて微塵もないんだが
今日聞いた話によると、創立以来続いていた研究室(自分は44期)の連続合格
今年ついに途切れたとか
戦犯の1人か・・・
まっ、そのことはまた別の話で
話を戻して
大阪で見つけたスゴイ写真屋
・・・さすが大阪。
嫁入り前 [家族]
食い物が美味しいこの季節
暑さがヤバい時期には、その時期なりの「食って凌ぐ術」があるわけで
この夏の酷暑で痩せてしまおう計画なんてものはとうにぶっ飛んでしまい
そんな自分のどうしようもない姿にあきれつつあるこの頃
今月半ばで関西に嫁ぐ妹がふらりと遊びに来て
基本的に日中は完全に放置して夜飯を一緒に食うくらいしか出来なくて
近所の激安韓国料理店とか
レバーフライがおススメの沖縄料理店にレバーフライだけ食いにいったり
酒を酌み交わしつつ色々会話を・・・
あんましてなかったかも(苦笑)
旦那になる人の話聞いたり、一応はしたけど
嫁入り前の最後の会話的なものは特になく
まだあんま実感ないだけなのかもしんないけど・・・
思えば
年子だったこともあってか、小中学校と一緒の学校に通った時間が多くて
鼻を真っ赤にしながらいつも自分の後についてくるのが疎ましかったときもあり
バレないように身を隠したら、泣き出してしまったので仕方なく姿をあらわしたり
自分が高校入って家を出てからは、そんな経験もなくなり
いつまでも、兄を追いかけてくる頼りない妹だと思っていたけど
もう、結婚する年になったんだなぁと
とか思うと、少ししんみりしてきた。
結婚が決まった人間の余裕なのか
「お兄ちゃんは一周りくらい上の人じゃないと駄目だね。年上以外認めない」
一周り上。誰だ・・・
うーん。
まっ、年下の姉はイヤってことなんだろうけど。
(年上の弟が出来るこっちの気持ちはどーしてくれんだ)
最終日は妹と一緒にこっちで世話になった人とか、地元が一緒の人のとこに遊びに行き
スープカリーをご馳走になる。
別れ際の改札での新発見
別れってものに対して男女で温度差ってやっぱあるんだなーと
妹と妹の友達が、改札前で抱き合って別れを惜しむのは想定内だったが
そっから手を離さず泣きだしたりとかで
かれこれ40分
その間ずっとその傍で
「カバン持ちなう」的な(笑)。
男の別れでは絶対ないシチュエーション。
色々勉強になった相鉄線三ツ境駅
まっ、みんな大人になっていくんですよ。
自分だけ時間が止まってしまった気がして・・・
心はそうでも、鏡を見ると日に日におっさん化している自分の体がそこにはあって
昔は朝仕事した方が一日がスッキリ過ごせたのに
今は朝仕事した日は体が重たくて仕方ないという
20歳の頃、よく自分死ななかったなと思う。
平日は6~9時で働き、そっから電車乗って16時まで予備校で、戻って18時~23時まで働き
休日は夜勤
そんな日々だったなぁ・・・。
さすがにもう無理だわ。
ふぅ・・・。
そして、明日で無罪放免になる人が何人いることやら。
明日も朝勤務だから寝ないと。
キャベツの入荷少ないといいな・・・
頭の中もんじゃ [無職生活]
8月頭、月島の方に行く機会があって
月島と言えばもんじゃだろと思い
パンおススメのお店でもんじゃ食いまくり
今まで、お好み焼きの亜流だと勝手に決め付けていたが
マジ美味い!
久々の感動。
しかしそのうまさは脳みそまで虜にして、頭の中までもんじゃ状態にしていまった?
その①
小2の頃から教えてきた生徒
一時期塾をやめていたが、小生の復職を聞いて戻ってきてくれた愛息(笑)。
昔は膝の上に乗せながら教えたり、肩車していたもんだが
中学生になって大分背も伸びてきて、来年には抜かれていること間違いなし。
つきあいもだいぶ長いので
「先生しほーしけん合格したらパパが雇ってあげるって!」
世界展開している企業の日本支社の社長様からのお招き
弁護士の就職難が問題になりつつある中、そんなんどこ吹く風の好条件。
まっ、受かればね・・・
「就職紹介してあげる代わりに、合格したら僕にipad買って頂戴!」
どうせ親御さんが買ってくれるとは思うが
ipad買って合格がもらえるものなら、いくらでも買ってあげるけど。
まっ、受かればね・・・
ここ数年来高校生の受験生を中心に担当していたので
中学生は久々で
(こんなんあったわぁ)くらいの感じで授業を進めているそんな毎日
そんな中で発生した、やっちまったなぁ
課題として出していた、方程式の採点していて、なぜか最後の問題だけ答えが合わない。
(どーせ、また途中式省略してミスしたんでしょ)
・・・特に省略した様子はない。
「解答が間違っているんじゃないの?」と言い出す彼
いやいやいや
しかし、原因が見つからん
文字の変換は問題ないし・・・
もしかして、本当に解答間違っているのか?
頭の中がもんじゃ状態になったとき
隣でセンター数学教えていた高校生が一言
「移項したのに符号そのままじゃないすか?」
あ・・・
ひでーはなしorz
もう数学教えるの引退すっかな・・・。
その②
ロー同級生で発足した将棋部(仮)
連盟に行ったんだったら、一般の大会にも出てみようということで
参加した京急将棋祭り
渡辺竜王杯A級、B級、レディース京急名人戦、と3人それぞれに出場
久々の大会参加でどこまでいけるか
予選2-1で何とか通り、本戦1回戦
序盤抑え込みに成功して完勝モードとか思っていたら
なりふり構わない向こうの攻めに応手を間違えあやしい空気に
それでも、受けに金を使わせ、そのまま桂馬も取って攻めが続く

受けても(先に△5一歩とか)問題なかったと思うが、勝ちがあるなら行かないと
そこから数手進み
自玉が危うく見えるが詰みがあるから問題ないはず
感覚的に詰みがある形。
△8六桂から金をはがして迎えた下図

あれっ?
どっかにスペースがあるはず
さっき読んだはずじゃん
進んでいく時計の秒読み
1回戦で残ってるのここだけだったせいか、わりかし多かったギャラリー
頭の中完全にもんじゃ
そして選んだ△8七龍
終わった・・・
投了後、周りの観戦者から言われた。
「あそこ△7七銀からで勝ちでしょ!」
あ・・・
そうだよ、▲同桂とさせて△7九飛(金でも)から一直線じゃん。
「岡目八目だねぇ」
岡目八目(傍目八目)
わきからみていると、打っている人より八目も先まで手が見えていることから
第三者は当事者よりも情勢が客観的によく判断できるということ
一目(瞭然)と言われても仕方のない形
当分将棋もいっかな・・・
まっ、竜王と記念撮影出来たりして
ご参加いただおたメンバーには喜んでいただけたようなので
よしとしようか。
仕事行っているとラーメン喰う機会も増えてきて
久々に食べた博多豚骨とか
さんまのつけ麺とか
懐かしのばんからの辛葱豚骨とか
辛いの食べれば、少しは頭の中もすっきりするかな?
悪魔のタイトスケジュール8月が終わるまで、あと15日・・・
もっかいもんじゃ喰いたい(笑)。
ヘキサゴン-1 [将棋]
最近自習室(うちだけ)で局地的に一大ムーブメントとなっているもの

将棋
試験を終えて発表まで暇を持て余している神々ロー生
そして
ひょんなことで実現した
某プロ棋士との合コン異業種飲み会
法律はしばらくやりたくない
でも頭脳は使っていたい
そんなロー生のニーズに応えて
心の隙間を埋め込んだ

40枚の五角形
判例百選が詰将棋
基本書が芦部、内田⇒羽生、中原に変わった瞬間
ぱっと見異様な光景(笑)
もちろん試験が終わったとはいえ、試験の出来によって置かれている状況が違うから
流れている時間は一緒ではなく
同じ時を漫然と過ごす訳にはいかないのは承知しているけど
それでも日陰者(笑)のこの競技に男女関係なく関心をもってもらうのは
大変嬉しいもんで
ついついコーチングしてしまう、そんな最近。
今週はついに男女4名による将棋連盟見学ツアーも実施され

将棋村の村人歴20年の不肖KYBによるガイドのもと

鳩森神社とかとか色々巡ってみたり
千駄ヶ谷界隈でランチしてみたり(メールで色々情報くれた方々どうも)
ハチワンのロケでも使われた御徒町道場を案内したり
将棋三昧の一日
プロ棋士、奨励会員、およびその他の将棋村関係者の皆様
求む!指導将棋in横浜。
交通費持ち。その他はKYBからカモるなりで(笑)

いまだによくわからない現象。
夏も本番となり
会いたかった人にも連絡とって会えたり、偶然出会えたり
アンディーにごちになった、きゅんさんおススメの宮崎地鶏の「じっどこ」
「ユッケ」と「酢モツ」
「地鶏炭火焼」
宮崎と言えばやっぱこれでしょの「チキン南蛮」
昔話に花を咲かせ、ひさびさにいい感じにホロ酔い。
俺も早く「大人」になりたいっす。
別件
夏バテしたいと思いながらも夏バテ出来ず
逆に色々作ってしまう夏バテ防止メニュー
①ニラをカットせずに麺感覚で茹でて和えた冷やし豚シャブ
②「カレーのつけ合わせに使う揚物作ってきて」と頼まれて
ふつーは唐揚とか豚カツなんだろーけど
あえて揚げてみたタンドリーチキン
タンドリーチキン自体はヨーグルトとスパイスに漬ければそれで完成
ヨーグルトが肉を柔らかくすると同時に爽やかな酸味を与え
結構いい感じ
ただ・・・揚げを失敗してしまった(笑)
暑いときに熱いものを食べて凌ぐ
エアコンに頼らない立派なエコ
ポルシェに乗ってプリウスを買いに行く
これも立派なエコ?
後者は一生縁のないエコ活動(笑)
ポルシェの前に免許ください・・・
我是肥胖的日本人 [無職生活]
去年くらいから行きつけにしている中華料理店が近所にある。
こんなんとか
こんなんとか
小皿料理が300円で出てくるので
人泊りに来た時にちょいちょい連れて行ったりしてて
この日も、愛娘の誕生したパンを連れてふつーに飯食うだけのはずだったのに
ひょんなことから店の常連さん夫婦に絡まれ
「38歳の女検事とかどうよ?」と奥さんの女友達を紹介されそうになったり
「ワタシノコドモノセンセイ、オネガイシタイヨ」と店の女性店主に言われ
検事さんご紹介の方はどうなったかしらないが
家庭教師の方はパンが敏腕プロデューサー(笑)として活躍してくれたおかげで
だいぶいい条件で交渉が成立し
「センセイ、ライシュウカラヨロシクネ」
いきつけの店が収入源になった瞬間。
授業初回日
頼まれたお子さんは小学生。
礼儀正しくて、お母さんが女手一つでもしっかり育ててきたのがすぐ分かった。
算数は得意で読解もそんな悪くないんだけど
いまいちニュアンスの分からない言い回しが多くて、点数が伸び悩んでいるらしく
「疑問を投げかける」とか、「わき目もふらず」とか
ちょこちょこ説明しながら教えていく。
ただ、ふつーにお店で教えるので、仕入れの業者さんとか何回も出入りしてて
もちろん会話は中国語
んで、お母さんと息子さんの会話も中国語(2人とも日本語出来るのに)
完全にアウェイ
(なめんな、こちとら4年までチャイ語やってたんじゃい!)⇒全く自慢になってない。
周りの会話に耳をそばだてること数分・・・
挫折orz
会話の主語以外何言っているかさっぱり分からん。
一家に一台HAMAさんが欲しいと思った瞬間(笑)
ちょいちょいお母さんがが「調子どう?」的な感じで聞いてきて
息子さんが何か答える的な
(このデブ教え方下手過ぎとか言ってんのかな・・・)
勝手に頭の中を駆け巡る被害妄想。
そんなこんな考えているうちに、とりあえず授業自体は無事終了。
アウェイ感は否めないものの
お母さんが結構評価してくださったようで
「アナタ、イイヒト。ハジメテオミセキタトキ、メヲミテスグワカッタ」
あっ、どうもどうも。
そんな7月のある週末。
夏と言えばやっぱ茄子でしょってことでパスタ
とか
冷やして食べるブリ大根が美味かったり
ポイントは
ブリ大根を作った後で
冷蔵庫で冷まして
煮汁だけを冷凍してシャーベット状(冷凍庫3時間くらい)にして
具の大根、ブリ、味玉の上から生姜の搾り汁をかけ
シャーベット状にしたシャリシャリの煮汁をかけて
白髪ねぎのせて
最後にお好みでラー油を回しかけて完成。
夏バテ知らずで通してきた28年間
・・・
あれっ、夏バテしないから痩せないのか?
・・・死にたい。
別件
ロッベン、スナイデル、イニエスタ・・・
あと1時間後に始まる禿げ祭り
起きていたい。









